MacやPCにとって確かに性能は重要だ。
これら二つには共通して影響を与えた法則がある。
ハードウェアはムーアの法則に忠実に性能を飛躍的に向上させてきた。
横並びのスペックを見て世の中のほとんどのPCがintelの独占に近い状態はあまり良いとは思えないが、同じようなプラットフォームになっている以上その価値はソフトウェアによって差が付けられる。
過剰となった性能は浪費すれば良いのでその付加価値の基本的な部分はOSによって実現され、さらにはアプリケーションがそれを拡張する。
CPUの性能向上が頭打ちとなりクロック至上主義からマルチコア化の道を選択し、並列化によるハードウェアの性能は向上したが、ソフトウェアにとっては構造的に性能過剰となったまさに「性能バブル」が起きている。
この過剰は残念ながらネガティブな一面をもっている。
余ったリソースの使い道は、最適化の難しさから活かし切れていない。
OSXのGCDはその解決策の一つだが、そういったテクニカルな問題はここでは本流ではない。
文字通りにOSが消えてなくなりはしないだろうが、多くの人にとってはOSが重要でないプラットフォームが存在する。
ケータイ電話である。
余談になるけどつい最近知ったのだが、ほとんどの日本製のケータイはSymbianOSだそうだ。
どの機種もほとんど共通した操作性をもち、そのUIが目覚まし代わりに使っているP2102と同じなのには驚いた。
MacやPCに共通した使い方のウェイトは圧倒的にWebブラウズ、メールだという。
それに特化したNetBookが現れたのは(まだ未熟ながら)当然の流れで、過剰な性能を廉価に提供する必然的な進化のひとつの形だ。
そしてGoogleのChrome OSもまたその第一歩となる、
よく聞かれる「Appleからもネットブックを」という声はこの意味では間違っている。
AppleにとってはMacBook Airがすでにその答えとなり、その先はを行くのがiPhoneだからだ。
本体のスペックとは無関係にソフトウェアによって無限に広がる世界がその大きな付加価値となっている。
PCで同じことをやっても無意味だが、少なくともこれから先の進化の片鱗が垣間見える。
それには今の通信インフラではバンド幅が不足しているが、これもムーアの法則によって解決する。
OSの有無にかかわらずWebは存在し、そこにアクセスする術さえあればプラットフォームは何でもいい時代はすぐ目の前に来ている。
それはマークアンドリーセンが所望し予言した世界だ。
デスクトップPCが消えるという意見もあるが、それは本質的にはWebとユーザーのブリッジとなる端末が駆逐してゆくことを意味する。
シンクライアントほど脆弱でないプラットフォームが目前に迫った時、果たしてOSのベンチマークの些細な差を比較する意味があるのだろうか?
ちょっと立ち止まって考えてみたくなった。



最近のコメント